古代日本の文学で肌の美しさが強調されたのは、日本製の優れた白粉が無く、肌の個人差が大きかったということも関係しているかもしれない。古代日本では米製の白粉しか作られておらず、伸びとつきの良い「鉛粉」と呼ばれる鉱物性の白粉は、中国からしか得られぬ超貴重品だった。皇族や先進地帯の支配階級の女ですら日常的に浪費できるものではなくて、皇族でも粗悪な米製の白粉を併用していたほど。生まれつきの肌のきめや色ツヤは容易に隠すことはできず、肌の美しい者とそうでない者の格差が、美醜の差として受け止められた。『日本書紀』には、吉備の支配者が、妻の肌がいかにうるおいにあふれ、しなやかで、白粉も必要としないかを自慢したために、それを漏れ聞いた雄略天皇に妻を奪われたという話もある。一説によると天皇はこの男を殺して妻を奪ったといい、古代における肌美人の価値がいかに高かったかを物語っている。国産の鉛粉が製造されたのは、雄略天皇から二百年以上経った、女帝の持統天皇の時で、以後、日本の女たち(ただし特権階級)は白粉で美肌を容易に手に入れることができるようになった。逆にいうと、美肌であることが当たり前の時代になったわけで、美人の条件がより厳しくなって、「形」にまで及んでいったのが平安時代といえるかもしれない。現代の美容が基礎化粧品や食生活で肌を整え、ファンデーションできめをそろえることが基本であることを思うと、美肌作りが美人への道というのは変わりないわけで、美醜の決め手はやはり肌にあると覚悟を決めたほうがよかろう。
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